神社・仏閣

2012年2月19日 (日)

一人前?力石

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クリックすると写真が変わります。

 テクテク、テクテク、何処へ行く。

 メイン通りから外れた道は未知の道。

 甘い香りに誘われて、知らない集落の中をテクテクと。

 香りの主は蝋梅の花。花期の長い蝋梅ですがこの花は色艶が旬でした。

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 畑の中に小さな社が、ちょっと寄り道してみました。

 社の扁額に稲荷神社の文字。収穫を願う村の鎮守様だろうか。

 手水舎は形ばかりの小さなもの。

 鳥居の後ろに卵型の大石がありました。

 二百六十年前に奉納された力石だという。

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クリックすると説明文に変わります。

 「廿五〆目」とは二十五貫目(≒93.5㌔)の事かな。

 この石を持ち上げられることが一人前の男の証明だと。

 俺はその時代に生まれなくて良かった!。

 今なら一人前? ・・・・・???です。

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2010年11月 9日 (火)

水澤観音

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 榛名からの帰りは伊香保を通って、渋川伊香保ICが一般的なルートです。

 伊香保付近の車の混雑をみて、前橋ICとの間にある駒寄PAにできたスマートICを利用することにしました。

 ナビからは「まもなく左に曲がります」の連続で渋川伊香保ICを案内しますが、無視して県道15号を進みました。

 まもなく坂東十六番札所、水沢観音の案内板があったので、ちょっと寄り道することにしました。

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 正式名は五徳山 水澤観世音・水澤寺、宗派は天台宗です。

 本堂(観音堂)には本尊十一面観世音菩薩が安置されています。秘仏とされていてご開帳はされていません。

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 二重の六角堂は、地蔵尊信仰の代表的建築物です。

 六角堂の内部に回転する地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道地蔵尊を祀る、珍しい構造になっています。

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 左回りに3回廻して真心の供養をしてきました。ご利益があるのなかな? 期待するようでは信心が足りないのでしょう。

 この二階には大日如来が安置されているそうですが、拝観できませんでした。

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 飯綱大権現の鳥居の横に万葉歌碑の立札を見て、鳥居をくぐり急な階段を上って行きました。

 45度はある急な階段で上りは良くても下りは怖いですね。転んだら下まで止まらない(お陀仏)でしょう。手すりをしっかり掴んでも及び腰です。

 この階段は水沢山の登山口になっていて、社の裏手を少し登ったところに万葉歌碑がありました。

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 万葉集第十四東歌上野国歌だそうです。難しくて読めません。

 伊香保ろのやさかの堰堤(いで)にたつ
 虹(ろじ)の顕(あらは)ろまでもさ寝をさ寝てば

 歌の内容は
 「厳秀(いかほ=榛名山)の八坂の堰堤にあざやかな朝虹が立つ その虹のようにはっきりと二人の仲が知れてしまってもかまわない それまでも共寝をしたならばどんなによかろう さあ寝よう 寝ましょう」
と書かれていた。
なんとも意味深な歌であろうか。

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 仁王像と風神・雷神が祀られた仁王門、鐘楼も立派なものでした。

 裏街道を走る気儘なドライブは、思いがけない出会いがあり楽しいものです。

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2010年9月27日 (月)

本郷、櫻木神社の例大祭

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 同窓会で本郷三丁目に出かける。

 この付近は早い時期から町屋として開けたところです。

 明治以降は多くの文人が居を構え、教育、医療、出版関連施設が多く屈指の文教地区でした。

 今は住居表示変更で本郷、湯島の町名になっているが、真砂町や本富士町など懐かしい名前のついた施設を目にする。

 この日は春日通りの北に面した櫻木神社の例大祭であった。

 近くにある有名な湯島天神、神田明神とは比べようもない小さな神社です。

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 社の軒には氏子町会の11個の祭提灯が飾られ、往年の地名が偲ばれる。

 幾つかの氏子町会合同で神輿が繰り出されていた。

 都会のお祭りは交通規制をしながらですから大変です。

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 裏通りにある本郷薬師堂、そこには昔ながらの屋台が並び、子供たちの笑顔が微笑ましかった。

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2010年6月22日 (火)

一足早く茅の輪くぐり

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 茅の輪くぐりと言う神事がある事を初めて知りました。正式には「夏越大祓・茅の輪神事(なごしのはらえ・ちのわくぐり)」と言う。

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 大きな丸く束ねた青茅を立て、左足から左周り、右足から右回り、また左足から左回りと∞のように回ります。「水無月(みなつき)の夏越(なごし)の祓(はらえ)する人(ひと)は千歳(ちとせ)の命(よわい)延(ぶ)というなり」と唱えながら回ると良いとされています。

 各神社で6月の晦日に一般的に行わるそうだ。6月に行われるのは正月から半年間の穢れを祓い、夏を無事に過ごす願いを込めた神事だと言う。穢れの多い人生を歩んでいると自任する私は一足早くお祓いをしてきました。

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 きょうはPhotoshop Elementsを使って初めて絵?を描きました。絵心が全くないので描くことは無理でも、ブラシの使い方の勉強と思いマニュアルに沿って操作してみました。ルノアールの元絵がはたして花の絵に見えるでしょうか?。

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2010年5月 7日 (金)

寄り道はお寺詣で

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 PC勉強会へ向かう通り道、日光御成道沿いの東側にある光徳寺に立ち寄ってきた。

 号は江長山、曹洞宗のお寺です。

 由緒書きによると、「開創は文禄六年(1595)といい、開山の僧は快厳と云い、慶長六年(1601)十一月十九日に亡くなっている。

 江戸時代の三代将軍・家光以降代々十三石の寺領を賜り、それを証する朱印状が残されている。

 寺の西側を通る日光御成道は、将軍の日光東照宮参拝に際しての専用道として使われ、当寺はその休憩所となっていた。」と記されていた。

 本堂は建て替えられて40数年、外見からは400年を越える古刹という感じはしないのですが、苔むした古い墓石には元禄や享保の年号が見受けられ、古さを実感できた。

 休憩所などに子供が喜びそうな、動物やカエル、河童など石造のキャラクターが置かれていたが、お寺と関係があるのだろか?。

 片柳の萬年寺の末寺と書かれていたので、萬年寺を拝観してみようと向かった。萬年寺までは車で5分と掛からない近い場所にあった。

 この寺は光徳寺より90年近く前に開山された古刹で、見沼代用水を開削工事した井沢弥惣兵衛とも関わりがあると書かれていた。

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 山門を入って直ぐに雨が降り出し、雨足は益々強くなり、早々と引き揚げ去るを得なかった。

 せっかく来たのに残念であったが、この地は度々訪れる事があるので、時間が取れれば立ち寄りたいと思う。

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2010年1月18日 (月)

歓楽街・新宿の原点

P1801 P1800  同窓会事務局の新年会が新宿で行われ、少し早目のお出かけで新宿を散策した。新宿二丁目には大宗寺、正受院、成覚寺の三つのお寺が隣接してあり、内藤家の菩提寺の大宗寺は広い境内を持ち、山の手七福神の布袋尊が祭られ多くの参拝客が訪れています。心に残ったのが成覚寺(じょうかくじ)です。

 成覚寺は新宿二丁目の靖国通り沿いにある浄土宗の寺院です。十劫山無量寿院成覚寺が正式名称。文禄3年(1594年)の創建と伝えられている。たいへん小さなお寺です。

 このお寺、いまや日本の繁華・歓楽の街となった新宿、その原点となる宿場町で、過酷な目に会った娘さんたちに縁ある場所です。

 家康が江戸に入城した翌年(1591年)、功績のあった高遠藩の内藤清成は現在の新宿付近一帯に広大な地を与えられた。今の新宿御苑に中屋敷を構え、その前の甲州街道(今の新宿通り)沿いに町屋ができて内藤宿と呼ばれるようになった。

 その後、吉原遊郭の繁栄ぶりを見た町人などが、一獲千金を目論んで内藤宿に新しい宿場を作り、岡場所(非公認の遊郭)を設けました。新しい宿場は内藤新宿と名付けられ、今の新宿の名前と町の発達の原点となりました。

 内藤新宿の娼家は非公認のため、遊女を置くことができません。そこで人買いは旅籠屋のお客の給仕をする「飯盛り女」として、各地の貧農から十歳にも満たない若い娘たちを買い、娼家に売りつけ(人身売買)、娼婦に仕立てられました。過酷な性の働きを強いられた娘たちは、奉公途中に病気になれば放置され、死亡すれば身ぐるみ剥ぎとられ、俵に詰められて投げ込み寺、成覚寺へ葬られたという。その数二千~三千と言われています。

P1802 P18021  境内には1860年に内藤新宿の旅籠屋によって作られた、石造りの供養碑「子供合埋碑」がある。「子供」という名称は、旅籠屋が飯盛り女たちを子供と呼んでいたためである。

P1803 P18031  また、門の片隅には「旭地蔵」が建っている。遊女と客の叶わぬ恋の果てに心中した男女、宿場で不慮の死を遂げた旅人の供養地蔵です。台座には18名の名前が刻まれ、男女が対になったものが7組もあります。この地蔵をお参りすると子供の夜泣きが治る言われ、別名「夜泣き地蔵」とも呼ばれています。

 P1804 その他、江戸時代中期に活躍した浮世絵師・狂歌師・戯作者「恋川春町の墓」(本名・倉橋格俗称)、白糸塚(伝説、鈴木主水白糸ゆかりの地)もあります。

 こんな小さな寺に江戸時代からの歴史が刻まれ、歓楽街・新宿の生い立ちを知る事ができて参考になりました。 

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2009年12月 4日 (金)

吉見観音

Yosimikannon  比企郡吉見町の丘陵に岩殿山・安楽寺があります。坂東三十三観音の十一番札所、通称、吉見観音と言われています。本尊は聖観世音菩薩です。

 参道は両脇に民家が建っているので、普通の道といった感じです。駐車場の近くに金剛力士像が置かれているので、参道だと分かりました。近くのお店の人に話を伺うと、この金剛力士像は参道だと分かるように建てたそうです。

Noarasi_2           左甚五郎作・野あらしの虎の欄間

 おもな建物は仁王門、本堂(観音堂)、三重塔、鐘楼、薬師堂、阿弥陀像など。本堂の中には多くの絵馬が奉納されています。また、本堂内には左甚五郎作の「野あらしの虎」と呼ばれる欄間があります。この欄間を見にきた参拝者もいて、本堂に拝礼した後「野あらしの虎」を拝み、本当に来て良かったと喜んでいました。

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2009年12月 1日 (火)

常陸国二の宮・静神社

 静神社は那珂市(旧・瓜連町)静に鎮座する、常陸国の一の宮鹿島神宮についで二の宮といわれ由緒ある古い神社です。また、古くは東国三鎮護神のひとつと記されているが、今は鹿島神宮(茨城県)、香取神宮(千葉県)、息栖神社(茨城・神栖)が東国三社として、三社参りされているのが一般的で、その真意は?

 小高い丘(山)の上に神殿があり、石段が五個、計九十数段、石段をつなぐ坂道に設けられた木段を合わせると百数十段の参道を登ります。参道と神殿の周囲は鬱蒼とした森で、スギやヒノキの巨木で覆われていました。ご祭礼があったのか? 広告入りの布製の御神燈が飾られていて、少し興ざめしました。

 写真をデジブックにしました。曇り空と夕暮れ間近か、撮影下手でぶれた写真ですが我慢して御覧ください。

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