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2011年7月 1日 (金)

「ブッダ」を観る

070101

 映画「手塚治虫のブッダ(BUDDHA)-赤い砂漠よ!美しく」を観てきました。

 原作は読んでいなかったし、ブッダの言葉から仏教の教えを説くアニメ映画と思っていましたが、人間臭さが感じられる良い映画でした。

 話は今から2500年前、インドは多くの王国が存在し、ヒマラヤ山麓の緑豊かなシャカ国をコーサラ国が征服しようとしていた。

 当時のインドはバラモン(僧侶)、クシャトリア(武士)、バイシャ(平民)、スードラ(奴隷)というカースト制度が存在し、身分の低い者は虐げられ、貧しい生活を強いらる厳しい時代であった。

 シャカ国で生活するチャプラとタッタは最下層の人間(スードラ=奴隷)で、生涯その階級から抜け出すことはできない。

 シャカ国を進行中のコーサラ軍に家族を殺されたタッタは、チャプラと一緒にコーサラ軍の宿営を襲う。逃げ出し負傷したコーサラ軍のブダイ将軍をチャプラは助ける。将軍を救った名誉を利用し立身出世する事を企んだのだ。それは奴隷市で売られそうになった母を救うための手段でもある。

 その頃シャカ国の王子として生まれたシッダールタは、全ての動物の生を慈しみ、同じ人間なのに身分制度がある事に疑問を抱く心優しい少年に育っていた。

 チャプラはコーサラ国で武勲を立て、大臣の娘と婚約してコーサラ国での地位を築きあげた。

 シッダールタも武芸に秀でた王子に成長するが、身分差別への疑問を抱き続け、城を抜け出しては人々の生活を見つめていた。知り合った盗賊の少女との淡い恋は引き裂かれ、少女は二度と王子を見られぬように目を焼かれてしまう。身分の違いをまざまざと突きつけられる。

 再びコーサラ国はシャカ国を侵略しようと戦争になる。人間同士の殺し合いを望まぬシッダールタだが、戦わねば国が滅びてしまういう王の言葉に従って望まぬ戦いに駆り出る。コーサラ軍を率いるのは将軍になったチャプラである。

 二人の戦場での戦いと運命は・・・。

 負傷したチャプラは愛する母に出会えるが、結果的に出自身分を知られてしまう。母は死罪となりチャプラは国外追放処分となる。チャプラは母の助命を願うが叶わず、同じ死罪を望み二人は処刑されてしまう。

 一方、シッダールタは差別を憎み、「生老病死」に悩み続け、王子の身分を捨て修行(出家)の旅に出る。

 ここで映画は終わりとなる。

 この映画はブッダ三部作の第一部だという。仏教の開祖であるゴ-タマ・シッダールタが出家するまでを描いた映画である。

 テーマがカースト制度という身分差別による苦しみと、人間そのものの苦しみである。

 その苦しみは身分の低い者が味わうだけでなく、身分の高い者も苦しめられるという。
 シッダールタ(クシャトリア=武士)とチャプラ(シードラ=奴隷)の物語を同時進行で描いていくのはそんな意味合いだろう。

 その苦しみの質は違うと思うが、その解決策は・・・・

 シッダールタはシャカ王となりシャカ国に理想郷を築くことはできなかったのか?。
 できないとすればその理由はなんであったのか?。
 理想郷は一国で目指しても成り立たないと考えたのか?。

 人間の平等と人々の悩みや苦しみを救うものとして、仏教が必要だと考えた理由がそこにあるのだろう。

  職業としての僧侶、「葬式のための仏教」といわれる現在の日本仏教を想うと、多くの僧侶にも観てもらいたい映画です。
 そして、差別を憎み、生老病死に悩んだブッタの姿をどう思うのだろうか。

 現代社会が抱える問題にも通じる事である。

 しかし、宗教が社会を正し人間を幸せに出来るのだろうか・・・。

 ともあれ、第二部、三部もぜひ観てみたいと思う。

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