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2011年3月

2011年3月31日 (木)

セカンドカー

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 我がセカンドカーです。
 暫く、いや10年チョット玄関の壁に飾られままでした。

 大震災によるガソリン欠乏騒動によって、出番が回ってきました。
 とはいえ、整備がされていない状態、空気の抜けたタイヤにポンプで挿入、どうにか機動力を発揮してくれました。

 働き始めて二週間目の日曜日、タイヤがペチャンコになっていた。
 空気を入れても暫くすると圧が下がる。タイヤがパンクしたようだ。
 予備のタイヤと取り替えを試みるが合わない
 エッ!・・サイズが違う。
 ツーリングをしている時にパンクしなくて良かった。

 タイヤはチューブラータイヤというタイヤとチューブが一体になったもの。
 いまは普通の自転車と同じように、タイヤとチューブが別のクリンチャータイヤが全盛らしい。
 近くの自転車屋を回ってタイヤを探すが、どこにも置いていない。絶滅危惧種になりつつあるようだ。
 ネットで調べるとまだある事が分かって安心した。予備を含めて3本を注文した。
 バンクしたときは修理がきかない。交換するしかないのだが、作業が簡単なところが魅力だ。
 応急措置(接着剤をつけない)なら10分と掛からない。
 

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 このレバーを手間に引くとタイを外せる

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 チューブラータイヤを付け替え、空気を入れる

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タイヤをフレームに入れ、レバーを締め付ければOK

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ビンディング形式のペダル

 このセカンドカーは一応オーダーメイド。
 当時最先端のビンディング形式のペダルだけでも、ママチャリ一台分の価格はしました。
 購入してから7、8年はよくツーリングしたものです。
 
 気候も良くなってきたし、これを機会に現役復帰を果たして、運動不足解消に役立てようかな。
 

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2011年3月25日 (金)

不可思議な? 燃料不足

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 先週の金曜日に次男が車で帰ってきた。しかし日曜日には帰らず、月曜日に我が家から電車を使って出社していった。
 起床5時、駅まで送った私も付き合わされた。
 車のガソリン残量が少なくなり、購入できるかどうか不安だったからだ。

 「ガソリンを入れられたらお願い」と頼まれていた。今夜帰って来るのにすっかり忘れていた。健忘症には困ったものだ。

 私は長野から帰ってきた翌日、地震災害の翌夕方にガソリンを入れにいった。580㎞の走行でガソリン残量が僅かだった。
 かなり行列ができていたので諦めて帰ったが、翌日は早朝から出かける用事があってGSスタンドに行けるかどうか分からない。
 夜になって再びGSスタンドに出かけた。行列は短くなっていたが20分ほど待って満タンにすることができた。

 その時はまだ燃料不足の事態になっているという認識はなかった。
 翌朝、GSスタンドから「燃料の入荷が困難で一時休業します」とメールが入った。運が良かったと思った。

 メールには「入荷次第連絡します」とあったが、その後にメールはなかった。
 今朝、電話を入れると開業しているという。
 思わず「連絡がないじゃないか!」と文句を言ってしまった。大人気ないなと思う。
 直ぐにGSスタンドに出かけた。やはり長い行列であるが、待つこと30分ほど、息子の車も満タンにすることができた。
 明日は友人と筑波の友人宅に行くという。日曜日には車で帰ることができるだろう。

 それにしてもこの事態は不可思議ですね。この間GSスタンドは休業が多く、営業している所は長蛇の列だ。
 石油と違ってガソリンは車に入れる以外、買い溜めをすることはできないだろう。
 被災地は輸送手段が絶たれ、入手できずに困っている。使用量も減っているはずだ。この間、車の利用が増えたとは思えない。

 一部製油所が震災の影響を受けたが、全体の生産能力は落ちていないはずだ。
 実際、石油元売業者は「増産している。出荷量は落ちていない」と言っている。ガソリンを求める長蛇の列、休業のGSスタンドが多いのはなぜだろう?

 穿った見方かもしれないが、出荷調整をしているのではないかと思ってしまう。
 原油価格の上昇、需要と供給とバランスを理由に挙げ、価格を吊り上げているのではないか?。
 12日の価格はリッター137円、今日は146円だった。全国平均は150円を超えているという。
 このGSスタンドは安い方だが値上がり幅は尋常ではない。

 被災地の燃料不足は未だ深刻な状況だと伝えられている。道路整備など輸送の問題がまだ解決していないのだろうか。
 なにはともあれ、被災地への燃料補給を一刻も早く行って欲しいと思う。
 石油元元売業者は被災地支援のため、採算を度外視して優先供給してもらいたい。

 13日間の走行距離は50㌔。出来うる限り徒歩、自転車、電車での移動に努めている。
 我々にできる事は無駄を排し、つつましく生活することだろう。

 一方福島第一原発の事故は献身的な作業員の尽力にも関わらず、状況が良くなっているとは思えない。
 外部電源からの供給電力は確保できたものの、作業員に放射線による被曝事故が起きてしまった。
 原発本体からの放射性物質の流出が指摘されだした。
 20~30キロ圏に対する自主避難勧告が出された。「自主」とはあまりにも無責任ではないだろうか。

 チェルノブイリと同じような状態は避けたい。事故の拡大は是が非でも止めなければならない。
 目に見えない危険に晒されながら、現場で対応する人々には頭が下がる思いだ。

 今は正しい情報が必要です。そして噂に惑わされず、どの情報が確かなのか判断し冷静に行動したいと思う。

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2011年3月24日 (木)

年の経過、複雑な思い

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 先日、お彼岸で墓参りしてきました。
 いつも車で行くのですが、このご時世ゆえ電車で行きました。
 浦和、南浦和、西国分寺と三度の乗り換えで目的地に着きました。

 車窓からの眺めは何年振りでしょうか? 頭に残像として残る風景とはまるで違う眺めです。
 この違いは30余年の経過なのでしょう。

 帰りの電車で私の座っていた席の隣が空くと、そこに若い女性が座りました。
 「おじ(い)さん、南浦和はいくつ目ですか」片言の日本語で訪ねてきました。

 まだ乗ったばかり、私にもいくつ目だか分からない。
 「私も南浦和でチェンジ トレイン(トランスファーだったかな?)」と言うと、分かってくれたようだ。ベトナム人に英単語とは可笑しな話だ。

 彼女は話しかけてきた「サイタマもタイヘンね」??・・・どうやら地震の事らしい。
 「私ベトナム人、ベトナム地震ナイネ」
 「昔ベトナムはアメリカと戦争して、地震以上に大変だったでしょう」
 「?・・・?・・」
 そうか、ベトナム戦争から40数年、当事国の若い人にも分からないのか。
 ハノイ生まれでおじいさんは69歳だそうだ。私とあまり変わらないな! お父さんが生まれる前か、子供の頃の事だからね。
 おじいさんは苦労されたのだろう。複雑な思いがよぎった。

 仕事の研修で3年間の滞在、熊谷で修業しているという。
 駅に降りると重そうな荷物を二つ、思わず重い方を手にした。
 一瞬よろけそうになる。「大丈夫?」「男だよ!」いきがってみせる。
 20キロは超す重さだ。南浦和と浦和で乗り換え、階段の乗り降りはさすがに応えるがヤセ我慢だ。

 大宮で降りる私に、彼女は紙袋から缶詰を一個取り出し、「アリガト、キヲツケテネ」と差し出した。
 気持ち良くを受け取って別れた。
 缶詰は「八寶粥」という。ベトナム産かと思ったが、台湾産でした。

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 菩提寺に咲く梅の花
 「梅一輪一輪ほどの・・・・・・」
 という感じです。

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2011年3月13日 (日)

驚愕!、大地震

 

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 私が地震の発生を知ったのは車を運転中の事でした。
 奥志賀で吹雪に見舞われゴンドラが運休になった。
 早めの帰宅を決めて車に乗ったのが14時半ごろ、間もなくラジオから緊急地震速報がアナウンスされた。
 後で分かった事だがこの地域でも震度4はあったという。雪道の走行では揺れを感じられなかった。
 汗を流そうと湯田中駅前温泉「楓の湯」に立ち寄ると、テレビで地震の模様が流されていた。
 石油コンビナートの火災、数十㌢の津波の第一波、第二波の到来、津波避難警報などが報じられていた。
 一方、高速道の通行止めを知りどのルートで帰宅するかを考えていた。
 佐久ICから先は全面通行止めになっていたので、一つ前の小諸ICで降りる事にして、トイレと夕食、飲食物を買うため東部湯の丸SAに立ち寄った。
 ちょうど6時、テレビで大津波の惨事が流されていた。ラジオで情報は聞いていたが、実際に家や車が津波に流されている状況に驚愕した。
 数年前のスマトラ島沖地震の惨状と同じような映像を目にしているのだ。
 帰り道の街道筋の多くは停電で暗闇の世界。信号機も点いていない。主だった交差点では警察官が出て交通整理していた。
 自宅まで約130㎞の道程を7時間以上かかった運転は疲れた。
 多くの犠牲者を出し、被災された方は長い避難生活を送らざるを得ない状況を思うと、長時間かかっても家に無事帰られた私は幸せ者である。
 被災し亡くなられた方々に哀悼の意を表します。そして一日も早い復興を願わずいられません。

 また、福島原発の放射能漏れ事故の拡大が速やかに防止され、二次災害、三次災害を起こさないように願いたい。
 原発は安全と宣伝されてきたが、安全性がない事が照明された訳だ。原発に頼る電力政策を再検討する必要があるのだろう。
 

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2011年3月10日 (木)

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2011年3月 7日 (月)

ヤドリギ

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 やっと諸事から解放され、土曜までは気楽な時が過ごせる。

 昨日、帰宅していた次男が、スキーに行かないかと言うので付き合った。

 休日のスキーは混んでいるとの先入観から、ここ十数年行ったことがない。
 道路の渋滞は思っていたほどではなかった。平日なら2時間半で行ける所が30分ほど余計に掛かったけだ。
 ゲレンデの人出は平日に比べるとやはり多いが、リフト待ちは大したことはない。

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 ラッキーだったのは誕生日の無料リフト券に該当し、3人で3,000円で一日楽しめた事だ。
 寒の戻りで、新雪とパウダースノーに恵まれました。午前中は風が強かったが、午後からは雲一つない青空で快適なコンディションでした。
 

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 リフトに乗っていると、ダケカンバの木に丸い茂みがついているのが見える。落葉樹に寄生し、その幹から養分を吸い取って生息するヤドリギ(宿り木)である。
 風雪に耐える緑色した丸い枝葉、その生命力に驚かされる。
 ダケカンバの枝先が赤みを帯びている。良く見ると新芽が膨らんできている。スキー場にも春の息吹が感じられるようになった。
 
 帰りの温泉巡りはどこも大混雑、駐車場も空き待ち状態で諦めました。
 今週は水曜日から志賀高原に出かる予定です。
 多忙になる日曜日までの息抜きのひと時です。

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2011年3月 2日 (水)

もう暫く休載します

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 早くも3月も迎え、あしたは”ひな祭り”です。
 我が家には縁のない事ですが。
 気候の変化が大きいですね。体調管理に気を使う毎日です。
 温かくなったり、寒くなったり、しかし確実に春が近づいています。
 しばらく投稿が滞っていますが、諸般の事情により、もう少しの間この状態が続きます。

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