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2009年9月 9日 (水)

常陸の国・佐竹寺を訪れて

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 7月から事情によって毎週のように常陸の国(茨城)に出かけています。時間に余裕があれば近くを散策がてらに寄るようにしています。連れ合いの出身地というのも興味の一つです。

 今回は徳川家幕府が成立する前に、この地を治めていた佐竹家に縁のある佐竹寺を訪れました。佐竹家は関ヶ原の戦いに中立の立場を取ったため、家康により出羽の国(現。秋田)に移封されました。この寺もそのために衰退したそうです。

 お寺は建立から千年を超すもので、本堂は再建後460年以上の歴史を感じさせるものです。山門(仁王門)再建後70年目ですが、仁王像は300年前に作られたものです。唐破風の正面の屋根には佐竹家の家紋、「扇に丸」が飾られていました。

 常陸といえば水戸黄門が有名です。徳川御三家の一つ、水戸藩の二代目藩主である徳川光圀公です。

 光圀は大日本史の編纂作業に力を入れ、その実績が評価されています。また、名君として評されて庶民の間でも知名度と人気の高い人物だったようです。

 テレビでおなじみの「水戸黄門漫遊記」は講談師によって作られたフィクションですが、いまなお人気があるのも、そんな人柄が理由の一つなのでしょう。

 ただ気になる噂を聞き、ある事件を調べたい衝動にかられました。

 事件とは約400年前、徳川幕府が成立した頃に、連れ合いの出身の村民が全員虐殺されたというものです。い文字をクリックしていただければ、この事件を調べた人のWEBが開きます。ただし、これは私がネットで調べたうちの一つで、事実かどうかの判断はできていません。真偽の判断は各自でお願いします。

 この地で生まれ育った義姉に伺ったところ、そういう噂話は知っていますと言っていました。その事実を期した記録は残っていませんが、400年も延々と口伝えで伝えられているのです。そして事件の場所はいま、地獄沢の名がついて実存しています。

 光圀公が大日本史を編纂するため、「助さん」なる人物「佐々木助三郎」らを全国に派遣して史料蒐集したのでしょうが、自らの藩で起きた(起こした)事件、都合の悪い事は記録として残していないのはないでしょうか。

 日本で最初に記されたと言われる「日本書記」や「古事記」をはじめ、残された史料は当時を知る上でそれなりの価値はあるのでしょうが、必ずしも正しいものとは言えないでしょう。書いた人、書かせた人に都合の悪いことは記録せず、良いように改編されているものと思わずにいられません。それを裏返す史料が見つかなければ、書いた者勝ちになるのが歴史なのでしょう。 

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コメント

青さん

おはようございます。
またまた、懐かしい場所をありがとうございました。
噂では、佐竹家が秋田に移封された時に、周りの美女を全部連れて行ったので、秋田には美人が多くて、茨城にはいないとの話がありました。
真偽のほどは、不明です。

投稿: 昭JIJI | 2009年9月10日 (木) 08時23分

昭JIJIさんへ

美女の件、そのように言う茨城の人もいますね。
私の連れ合いは茨城の人、長男の嫁は秋田の人。
ウーム……なるほどね!
実感しつつ冗談にしておきます。家内平和のために。 

投稿: 青さんより | 2009年9月10日 (木) 09時00分

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