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2009年2月22日 (日)

井澤弥惣兵衛為永の墓

 見沼代用水開削普請奉行・井澤弥惣兵衛為永(いざわやそうびょうえためなが)の墓とお寺です。赤いのぼり旗がなければ見逃しそうな質素な佇まいです。P01_3 P022_2

見沼の干拓、代用水路、新田開発などの土木事業を奉行として測量設計監督を行ったのが井澤弥惣兵衛為永。その事業の中でも柴山伏越、瓦葺掛渡井(現在伏越)は用水と河川の立体交差で、為永のすぐれた技術の一端を知ることができます。

為永は1738年に76歳で逝去し、江戸麹町(千代田区)の心法寺に葬られましたが、1767年に見沼代用水路沿線村民が為永の業績をしのび、柴山伏越の脇にある常福寺に分骨して墓石を立てました。P03 P044

 法名 崇岳院殿隆誉賢厳英翁居士(すうがくいんでんりゅうよけんげんえいおうこじ)

 現在、墓地改装工事中につき…………と張り紙がありましたが、為永のお墓の改装なのだろうか? 檀家も少ないような小さなお寺、お墓の周囲も荒れた感じ、枯れてはいるが花が供えられ卒塔婆が建てられていました。墓地改修となると篤志家でも現れないと難しいそうです。P05 P06 P07

 そばに梅、サンシュユ(春小金花)、満作の花が咲いていました。

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