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2008年7月 3日 (木)

一世紀の生命力

 今日は母の100歳の誕生日です。お世話になっている老人ホームにいきました。兄弟が3人集まり元気な母と会いました。Photo_2 施設ではお祝い会が行われ、皆さんからのお祝いの色紙と花束をいただき、たいへんご機嫌でした。お礼にと都々逸とストトン節を披露するとは思ってもいませんでした。いつも気の強さで介護士さんを困らせる母、もう少し素直さがあればと思うのですが、その気の強さが長生きの秘訣だったのか知れません。介護士さんにはよろしくお願いするしかありません。

 96歳頃まで何事も自分でやっていた気丈な母ですが、徐々に老人性の認知症が出るようになっていたのです。その事に気付かなかった周囲の人は本当の話と思い、何度か問題を抱え込みました。それが認知症によるものと分かりはじめて納得したものです。正気な時と虚構の時の判別、非常に難しい問題でした。

 今の会話でも、自分の子供時代に戻り亡き母が出てきたり、我々が子供になったり、我々の嫁さん・婿さん探しの心配までしたりと支離滅裂ですが、その話に合わせて話しをするとご機嫌です。わたしたちも気が和みます。

 一言に100歳と言っても大変な時代を良く頑張ってきたと思います。関東大震災やあの忌まわしい戦争と戦後の混乱期を生き抜き、これまで4人の子供を亡くし、その悲しみに明け暮れ、夫の病気の看護と死亡、その後、女手一つで4人の子供を育ててくれた母には頭があがりません。

 いつまでも長生きして欲しいとの思いは当然ながら、この数年、植物が枯れて行くと同じように、小さい体がますます小さくなり、枯れていく様子に寂しさを感じるようになりました。また会いに行く楽しみをなくさないでと祈るばかりです。

 

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