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2008年7月 2日 (水)

古墳を探索に思う歴史

 梅雨の合間の晴れは実に蒸し暑い。こんな日は木陰が恋しくなり、樹木の生い茂る天王山塚古墳を訪ねた。埼玉には行田にある埼玉古墳群に代表されるように、各地に古墳が存在し、その数も多いらしい。この天王山塚古墳もこの地域の栢間古墳群9基の内の一つで最大のものだという。

 蓮田鴻巣線沿いの東側にあるのだが、Photo_3 Photo_7 目印もなくただの雑木林のようである。地図で確認しないとこれが古墳なのかと思うくらい分かりづらい。入口は古墳の南西部で前方部の角にあたる。Photo_8 そこに県の史跡と書かれた石碑と説明の看板が設置されている。これを見て古墳だという事が分かる。

  坂道を30㍍、高さ9㍍ほど登ると平らな部分になり、 後円部に向かってほぼ平地になる。Photo_17 Photo_18 一番くびれた部分の幅は7、8㍍か、その先の後円部には薬師堂が建ち、その奥に5m程の山が造られている。薬師堂は後から建てられたものだろうし、Photo_19 その奥の小高い山も後から盛られたようだ。 管理状態は決して良いとはいえない。発掘調査も行われていないようだ。この地に立っても前方後円墳だという事が分からない。航空写真からだと森林の形から前方後円墳だと分かる。

 Photo_12 Photo_13 南は工場、西は細い道路、北側は民家が建ち、北東側と東側が畑で囲まれている。周囲を歩けるのは西側と、北側だけである。もともとは水溝に囲まれていたらしいが、その名残が北東部に残っていた。また、薬師堂付近と北側の民家の前には石塔婆が建ち、歴史を感じさせてくれる。

 Photo_14 古墳は、3世紀後半から7世紀前半にかけて、その地域の豪族など位の高い者や権力者の墓として盛んに築造された。為政者の権威や力を誇示するためだったのだろう。実際この作業を担ったのはどんな人たちだったのだろうか。彼らがどんな方法で、どんな思いで、どんな待遇を得て築造に関わったのかが気になる。おそらく自分も当時、生を受けていたなら、決して為政者ではなく、作らされた側にいただろうと思う。

 歴史は権力闘争の記録である。そして為政者が何をしたかの記録である。その陰で一般大衆の人たちは何を思い、どうなったのかが欠落している。そう思った私は歴史の授業に興味を持たなくなった。中学年の頃であった。振り返って思うと人並みに知識として吸収しておけば良かったが実感です。

 

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